「おたまじゃくし」 と 「神」 (from h2)

 私は、米百姓をしていますが、5月、田植えの終わった田圃では、蛙の大合唱が夜な夜な聞こえ、うるさい程でした。 6月に入ると、蛙の卵が孵化し田んぼの中はおたまじゃくしだらけ、まるで、おたまじゃくしの繁華街と化します。 30cm四方に20匹ぐらい生息しています。  計算すると、一反の田圃(普通の大きさの田圃、1000†―300坪)には、おおよそ 20万匹が暮らしている勘定になります (暇な方は、計算してください)。 ちょうど伊賀盆地の人口ぐらい。 それを考えるとびっくりです。  6月の中旬には、中干しといって、稲の根を強くする為、田圃の中の水を切ります。 おたまじゃくしは水が無いと生きてはいけません。 20万匹のおたまじゃくしの将来を、頭の片隅に置きながら、田圃の水を抜きます。 水の無くなった田圃には、おたまじゃくしの干物だらけ、となってしまいます (なむ、なむ〜)。  おたまじゃくしの世界にとっては、 「逆・ノアの箱舟」 のような大事件です。 でも、翌年にも又、同じ数ぐらいの蛙が田圃で生活しています。 多分、その中のおたまじゃくしの、ほんの少数が生き残り、蛙になるのでしょう。  いつも考える事ですが、おたまじゃくしから私を見たとき、私は20万匹の生命剥奪の権利を持っているのです。 私は彼らにとって、次元の異なる上の階層、すなわちある意味 「神」 の存在なのかもしれません。 私の気まぐれで、20万匹の命をコントロールできるのですから。  このような思いを巡らすと、例えば人類にとっては、次元の異なる上の階層、すなわち 「神」 の存在とは何なんだろうと、考えたりもします。 「我々が未だ感知し得ない生命体」 なのか、それとも 「この緑の地球の自然」 なのか、それとも・・・・・。 私は 「自然」 ではないかと思っています。  人間は今や地球上に65億人となり、同じ宇宙船地球号に乗っている、他の生き物の事を考慮しないで、やりたい放題の事をやって、今や自然に大きな影響を与える程の、存在になっています (地球温暖化しかり)。  このままだと、その内、地球上の他の生物を巻き添えにした 「神 (自然) の裁定 (ノアの箱舟の再来か、バビルの塔のように) 」 が下されるのではないか、と思ったりしながら、田圃の水を抜いています。
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