無題(投稿者 J)

昨日の投稿で、またお会いしましょうなんてことを書いておりました「J」です。 ブログの当番表を見たら担当日が10/29日で、上記のようなことを言っていること自体が、間の抜けた話だったわけです。 昨日の分はイレギュラー投稿シリーズということで、改めてレギュラーの投稿をしてみようと思います。 さて、今日はわざと「無題」というタイトルを付けたわけですが、最初「初心」とか「リスタート」とか「折り返し点」とか色々考えたのですが、書いているうちに「無題」だなと思いました。 明日、本来担当をしている職業訓練コースの1つが修了し、ちょうど年間コース数の半分が終わることになります、だから「折り返し点」というタイトルも考えたのですが、そういう書き方をすると、「やっと半分終わったやれやれ」というような取られかたをされたら嫌だなぁと思い、まずそれはやめた訳です。 また、「初心」とか「リスタート」というのも今の自分の気持ちと何かが違うと思う訳です。 どちらかというと「虚心」という言葉が近いかもしれません。 毎回コースが終わるときは、「今回のこの部分を修正して・・・内容を加減して」というようなことを考えるのですが、今回は「これ(今回のコース)も肯である」という気持ちです。 もちろん、修正したい点もありますし、訓練内容も増やすべきところは増やし、減らすところは減らすということは行うわけですが、それに向かう気持ちがいつもと違うような気がします。 どちらかと言うと悩み続けて決断しないタイプで、その悩み続けている自分のことが気に入らないず「早く決めなきゃ」と焦っていたことが多い訳ですが、最近はその悩むこと自体が「肯」というものではないか思うようになったわけです。 一番悩んでいたことが、どこまでが「訓練として必要な内容」でどこからが「自己満足の内容」なのか?ということなのですが、考えてみればそれを自分が判別できると思うことにおごりがあるわけす。 そもそも訓練内容に絶対など無いわけで、あるのはモデルカリキュラムだけです。 無理にモデルカリキュラムに近づける必要も無く、無理にオリジナリティを出す必要も無く、必要ではないかと思うものをやってみて、だめだったらやめれば良いだけです。 永遠に思考錯誤する、「悩み続ける」ことに価値があるのではと思っています。 「達成感」も「反省」も「やる気」も・・・・、色々な気持ちは訓練講座を受け持った数年前と同じで、何も変わった気もしません。 でも、無理に頑張ろうとする気持ちだけが抜けてきたなぁ、と感じています。 努力したから結果があるのではなく、結果というものの要因の一つが努力である。 努力と結果は別であり、だからこそ努力にも意味がある。 よって、努力したのに結果が出ないと嘆く必要も無い。 それゆえに結果を出すために努力することには価値がある。 良い手入れだから美しい花が咲くのではなく、美しい花が咲くために必要かもしれないものの一つが良い手入れである。 美しい花と良い手入れとは別のものであり、別のものだからこそ、美しい花が咲かなかったとしてもその手入れに意味が無いわけではない、別の美しい花が咲くかもしれない。 それゆえに、美しい花を咲かせるために良い手入れをすることには価値がある。 取り留めの無い抽象的な話になってしまいましたが、そんな文章力の無い自分も「肯」な訳です。 よって、無題です。
このページのトップへ